2017年5月20日土曜日

記事にしてもらえるのは有難いのだが・・・

どうしよう、このブログを書いて公開しても大丈夫だろうか。
仕事柄イメージや繋がりは大切だし、マスコミの方々と親しく仲良くしているほうが絶対いいに決まっています。

でもさ、でもね。うーんどうしよう。

えい!やっぱり書いちゃお。

そして新聞関係者の方の考え方や、これに詳しい方からの説明や意見を聞きたい。


この間の日曜日に新発田であった演奏会の記事が今日の「新潟日報」に載りました。この演奏会にスポットライトが当てられて、多くの方がこの記事を読んでくださるという事は、やっているこちらからすると大変励みになるし、とてもよいアピールになるので有難いことです。
一つ前の日記には、演奏会の写真がありますから、そちらもご覧ください!

しかーし、私が気になる所を挙げると・・・



まず、一つめは演奏会のタイトル。
「琴・三弦・尺八演奏会」じゃなくて「箏・三絃・尺八演奏会」なんだよね。

「弦・絃問題」
本当は「絃」なのですが、「絃」という字が当用漢字(常用漢字の前身)になかったから「弦」の字を当てたのです。生田流の正派では「弦」、宮城派は「絃」を、山田流では「絃」が多いかな。演奏者側としても統一されていません。
だからという訳ではないですが、ま、正直どっちでもいいと思うんです。

しかし、「琴・箏問題」はそうはいかない!
これも上記の当用漢字に「箏(こと)」の字がなかったので、読みが同じ「琴(こと)」を当てたことに始まっているのです。だから本来「琴」と「箏」は違う楽器なのです。
「琴」は「一絃琴」「二絃琴」「七絃琴」や、現代では「大正琴」のように、絃に駒(柱・じ)を立てずに指などで絃を押さえて音高を決めて演奏する楽器で、「箏」は柱を立てて、その位置で音高を決めて演奏する楽器のことです。
日本は昔、弦楽器のことを総称して「こと」と言っていました。源氏物語にも「琴(きん)のこと」「箏(そう)のこと」「琵琶(びわ)のこと」とでてきます。
確かに以前の教科書には「箏」を「琴」と書いてありましたが、今どきは学校の教科書にだって「琴」なんて字を使ってないんですよ。
以前、私のことを記事にしていただいた時は、記者さんにそれを説明して、「箏」と書いていただきました。
これね。

これとか。
どちらも同じく新潟日報です。


もう一個。これは某テレビ局のニュース画像。これも箏となっています。
(それ以前に、顔がシュッとしてるではないか!痩せよう。)


もっと言えば「筝」でもなく「箏」なのです。
我々はよく、「草かんむりに争うではなく、ノ・ツのほうの箏です。」と言います。



そして、二つ目は固有名詞。
私の会「松濤会」じゃなくて「松濤會」なんだよね。
ま、これは「會」は旧字だし、固有名詞と言っても、イメージとして「会」ではなくあえて「會」にしただけ。しかも祖母から私がこの会を引き継いだ時に変えただけなので、そこまで目くじらは立てません。
それより、よく「松涛」にしなかったものだと思っています(笑)

「松涛会」「松濤会」「松濤會」
ね、イメージが違うでしょう。


三つ目は、もう失笑するしかない「琴曲部」。
これは抗議したい。

上記の「琴」の曲であれば「琴曲」でしょうね。
でもさ、「箏曲部(そうきょくぶ)」なんですけど。
「生田流琴曲」「山田流琴曲」なんて言葉聞いた事ないですけど。
記者さん、どこで調べて琴曲って書いたの?どこに「西新発田高校琴曲部」って書いてあった?なんて読むんですか?


ヤバイ、書いていてエキサイティングしてきた(笑)

冷静に冷静に。




ちなみに、これが当日配られたプログラム。

そして、市内各所に貼られていたポスター。

一般的によく使われている字とか、読みやすい字、といった基準があるのかもしれませんが、報道には「正確さ」も大切な事ではないですか?
また新聞にこう書かれると、こちらがその字で情報を提供していると誤解されるのではないか、と心配です。
考えすぎだとは思いますが、こちらが「琴」と「箏」の区別を知らないのではないか、と思われるおそれもあり、それは非常に不本意です。

せっかく記事にしていただくのならば、その辺の深いところまで考えていただきたいものですな。

そして、敢えて違う字で記事を書く意味を教えて欲しいです。


それから「和装」という言葉は好みじゃないなぁ。「着物」や「和服」で良いではないか。


~意見には個人差があります~


↑ この注を付けるあたりが、私の気の弱いところであります。

ま、これも意見には個人差がありますが(笑)


最後に、私の芸名は「祥圃」ではなく「祥圃」です。(これは画数の問題ですの)








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