2020年5月30日土曜日

来た!そしてすぐ出した。

皆さんのところは申請書は来ましたか?
もう振り込まれているところもありようですね。

江東区は27日発送とのことでしたが、昨日申請書が届きました。
そして早速投函してきました。



というか、この申請書の郵便物は京都まで配達されんのね。委託業務会社ってのがあるのかぁ。

このネット時代、もっといい方法はないのかねぇ。
今回のことで、日本は決して先進国でないことが分かっちゃったよね・・・

悲しい・・・


ところで、延長分の給付金はないのかしら?

2020年5月28日木曜日

【ちょっとお聴きよ山田流】第三回 初夏の風に誘われて江の島へ!

いやいや、実際に江の島へ行く訳ではないですよ。もちろん。

今日の「ちょっとお聴きよ山田流」は山田検校作曲『江の島曲(えのしまのきょく)』です。

ちなみにこれは江島神社の奥津宮にある山田検校の銅像です。

山田検校(1757-1817)が21歳の時に初めて作ったと言われています。ということは、1778年ってことか。1778年にどのような事があったか、ちょっと調べてみました。
安永7年、天皇は後桃園天皇、将軍は十代家治。
三代目の中村歌右衛門や六代目の市川團十郎が誕生。
四代目市川團十郎、ジャン・ジャック・ルソーが死去。

ま、そんな年に作曲された「江の島曲」。

江島神社の縁起が語られる曲です。
ごく簡単に言うと、「悪行を重ねていた龍が、天女に恋をし、改心していい龍になった」という感じ。詳しくはこちらをご覧ください。

なぜ第三回にこの曲を選んだか?というと、この曲の季節がちょうど今頃なのです。
冒頭は、江戸時代も絶好の観光地であった江の島。その江の島に初夏の清々しい海風を感じながらてワクワクしながら歩いていく。潮が引くと地続きになって江の島に渡れたようです。そんな「絵~にも描っけない美しさ~」(竜宮城の景色 by 浦島太郎)の江の島の景色を唄います。

今回はこの冒頭の部分を唄付きでお聴きください。

歌詞です。
「春過ぎて、今ぞはじめの夏衣、軽き袂が浦風に、科戸(しなど)の追風(おいて)そよそよと、福寿円満限りなき、誓いの海のそれならで、干潟となればいと易く、歩みを運ぶ江の島の、絵にも及ばぬ眺めかな。」

ん~、見事に七五調。

袂にそよそよと吹く風を表現するため(笑)、浴衣を着てみました。スマホで撮っているので、音質や画質はイマイチです・・・そして箏のみです。

曲はこの後、もう少し江の島の景色を唄います。

「水は山の影を含み、山は水の心に任す。
神仙の岩屋、名に聞こえたる蓬莱洞。そばたつ岩根峨々として、隨縁真如の波の声、心も澄める折からに、海人の子供のうち連れて、磯馴(そな)れ小唄も貝尽くし。」

ここでちょっと雰囲気がくだけて、男女の仲を様々な貝の名前に例えて、掛詞なんかも使ってサラッと唄います。なかなか色っぽいので、明治になった頃に、品のいい歌詞への改作が行われましたが、今はほとんどおこなわれていません。私も楽譜を見ないと分かりません。

↓は元の歌詞です。

「君が姿を見染めて染めて、引く袖貝を振り払う、恋は鮑(あわび)の片思い、徒(あだ)し徒波(あだなみ)桜貝、梅の花貝、その身は酸(す)いな、粋(すい)な酢貝は男の心、こちは姫貝一筋な、女心(おうなごころ)はそうじゃないわいな。いつか逢瀬の床臥(とこぶし)に、逢うて離れぬ蛤(はまぐり)の、その月日貝、馬刀貝(まてがい)
と、言うを頼みの妹背貝(おもせがい)、唄う一節恋の海。」

ここで荘厳な雰囲気に戻って
「かの深沢の悪龍も、妙(たえ)なる天女の神徳に、たちまち一念発起して、永く誓いを龍の口、昔の跡をぞとどめける、幾千代も、尽きせじ尽きじこの島の、磯山松を吹く風」

ここで冒頭の前奏が再び出て来ます。途中でガラっと雰囲気が変わり・・・

「岩根に寄する波までも、さながら夏風楽(かふうらく)、青海波を奏すなり。」

雅楽の曲名が出てきたところで、山田流特有の「楽(がく)」があり、その後・・・

「道理(ことわり)なれや名にし負う、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)の調の糸、永く伝えて、富貴自在、寿命長久繁栄を、守らせ給う御神の、広き恵みぞありがたき、広き恵ぞありがたき。」



おしまいおしまい。

となります。

全曲聴きたくなりました?

ではこちらをどうぞ。

これは平成25年に尼崎市で演奏したものです。
「こりおりの会」という、琴古流尺八の吉村蒿盟師、山田流箏曲の佐野満穂師らで作られている、山田流の演奏団体(関西では唯一といってもいいかもしれない)に招かれた時のものです。この江の島で箏の二番目の方が、当時私の所にお稽古に見えていた縁で伺いました。もう7年も前かぁ。
吉村先生が最近YouTubeにアップされたので、こちらに転載します。


第四回は何にしようかな。


それでは皆さまご機嫌よう。





2020年5月23日土曜日

オンライン蔵元会〔越乃寒梅の会〕

中学の同級生が女将をやっている新潟駅前の「錦屋酒店」が主催するYouTubeの「オンライン蔵元会」。4月29日の鶴齢の際にも出演しましたが、今日は新潟の代表格「越乃寒梅」の石本酒造の会でした。今回は癒し担当で出演しました。

石本酒造さんとは以前から何度かコラボレーションさせていただいています。
杜氏の竹内さん、営業の本望さん。お二方の酒作りにかける熱い思いと情熱、お話を聞くととても元気が出ます。そして音作りをしている私としては大変刺激を受けました。

そして今回私は何を演奏したかと言うと・・・
昨日一生懸命箏ソロ用に編曲した「見上げてごらん夜の星を」
なかなかいい出来なので、売ろうかな。難しいけどね(笑)

異業種を組み合わせて、蔵元会に様々な化学変化を起こしているのは、女将の裕子さんのおかげ。こういう取り組みでどんどん新潟が盛り上がっていくといいね!
企画力と行動力、そして新潟の日本酒にかける思いの大きさや熱さ、素晴らしい。


↓のYouTubeを是非ご覧ください。

2020年5月22日金曜日

東京限定の品物が新潟から送られてきた

関東圏はまだ緊急事態宣言が出されたままです。でも、今日の新たな感染者数は3人。200人を超えていた頃を考えれば、なんとも軽やかな気分になります。
さて、この緊急事態宣言の間、色々な方から様々なものが送られてきて有難いのです。この間新潟の実家から私宛に届いている手紙や、必要な楽譜、書類を送ってもらった時に、これまた色々な物が一緒に入っていました。鮭の水煮缶、レトルトのバスセンターのカレー、柿の種(亀田)、小嶋屋の蕎麦。いいセンスしてる。そしてこれ。

みんな大好きハッピーターン。
でもさ、え?東京限定?
ハッピーターンは新潟の会社が作っているので、それはまあいいとして、さっそく箱を開けてみました。

え?缶?しかも丸じゃないの?
予想を裏切ってくれます。

蓋を開けてっと。

えーーー?スカスカ。半分入れ忘れた?

亀田さん、これならもうちょっと小さい缶を作ろうよ。

ハッピーターンってみんな大好きじゃないですか。しかも東京限定で、外箱には普通のハッピーターン以外に、もんじゃ味とカレー味って書いてあってワクワクするじゃーん。

で、紙箱を開けると金ぴかの四角い缶でさらにワクワクするじゃーん。

で、期待に胸を膨らませて蓋をあけるじゃーーーん。

そしたら、このスカスカだよ。

ガッカリだよぉ。

「嘘でしょ?」って声出ちゃったもん。

早速三種類食べて、間違いなく美味しいのですよ。全部。

でもさ、それだけに、それだけにさ、この缶のスカスカ具合がガッカリを倍増させちゃうんだよなぁ。

率直な正直な感想ですよ、亀田さん。ちょっと考えてみてくれません?

サラダホープの限定品はいい仕事してるよ!ハッピーターンも頑張って!


それから、明日の19時から先日出た錦屋酒店さんのオンライン蔵元会に出ます。明日は生でちょっと弾こうかなと思っていますのでお楽しみに!
YouTubeで「錦屋酒店オンライン蔵元会ch」を検索してください。このリンクからでも飛べると思います。

前回出演した時のものは↓です。




それでは皆さまご機嫌よう。






2020年5月18日月曜日

【箏のこと】第四回 箏柱九兄弟

これがないと箏は音がでません。
そして箏の音程を決めるのもこれ。

箏柱 “ことじ”

家にある物がこちら。

色々種類がありますが、今日はとりあえず一番奥を長男で、一つ手前が長女。その手前に色の黒い次男、三男。さらに手前に四男五男。ちょっと小さい六男、七男。一番手前が一番小さい二女で九兄弟です。

まず、柱が立ってない箏をお見せします。

そして柱を立てるとこんな感じ。


この九兄弟で、一番よく働くのは五男です。身長は約6センチ。愛称は大柱(おおじ)くん。一般的に一面の箏に十二個使います。

箏柱はその時々で色々な姿に変身しておしゃれをするのですが、とびっきりの時は象牙に変身します。しかもとびっきり良い音を出してくれます。

これは鯨骨に変身したとき。

これはプラスチックに変身したとき。通常この姿のことが多いです。

次男と三男は今は表舞台に出てくることはないです。昔は大活躍だったのですがプラスチックに変身する五男以降が生まれて以降、お役御免になってしまいました。今は余生を静かに過ごしています。身長は四男、五男より少し低いです。昔の柱は今の柱より全体的に低めです。
特にこの次男は転ぶ(柱を倒してしまう)たびに、毎回首を骨折?脱臼?(頭の白い部分が外れる)して大変でした。これはティッシュを挟んでボンドで止められています(笑)



 そしてこれは四男です。身長は五男と同じ。愛称は巾柱(きんじ)くん。一番手前の巾の糸に使います。

なぜひっかかりがあるかと言うと、弾いた時に柱がズレないためです。
一番力のある親指で手前から奥(下の画像では左から右方向)に弾くわけですが、このひっかかりがあると柱に安定感が出ます。
箏に立てるとこんな感じになります。

ここからはある特殊な役割を担った子たちです。
ちょっとまとめてご紹介します。

まず長女です。愛称は雲雀柱(ひばりじ)ちゃん。長女ですが、比較的最近生まれました。

続いて六男。愛称は小柱(こじ)くん。身長は約5センチ。容姿は五男そっくりで、サイズが小さいだけです。※なので画像なし

こちら七男。愛称は三段小柱(さんだんこじ)くん。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)ならぬ三岐小蛇(ミマタノコロチ)?
身長は六男と同じですが、三段階に変幻自在に身長を変えることが出来ます。一番上は約5センチ。真ん中は約4センチ。一番低い時は、次女と同じ身長で約3センチです。

そして次女。愛称はチビ柱(ちびじ)ちゃん。五男、六男とそっくりでサイズがちびっこいだけ。※よって画像はなし。

次女、六男、七男、次女はどのような時に活躍するか?というと、まずはこちらをご覧ください。
主に演奏する時に自分から見て一番奥の絃(壱)に使われます。上は五男の大柱くん。下は六男の小柱くん。


比較するとこんな感じ。白い長方形は大柱くんがいた場所。
六男のほうが背が低いので、より右側にいます。柱が低いし右(この画像で)に行くので、音は低くなります。これで半音くらい違います。

これが次女になると、もっと右へいき、さらに低い音にできます。
七男に参加してもらって「たけくらべ」です。一番右から1センチの違いで身長が高くなり、半音ずつ音が上がっていきます。


そして長女は、五男・六男・七男・次女の役割を一手に引き受けます。
溝に絃を入れ込むのですが、五段階の高さがあるので、微妙な音の調整ができるんです。
ただ音がイマイチ・・・。普通の柱は、柱本体と絃が接している部分がほぼ点なのですが、この雲雀柱ちゃんは面なので、柱本体と絃が接する面積が大きくなってしまうから。
でも便利なので重宝しています。

そして長男です。身長は約8.5センチ。ずば抜けでデカイです。
これは十七絃というデカイ楽器に使う柱です。愛称はまだない・・・

では十三絃の箏と十七絃ではどのくらい大きさが違うのか。

まず図体。十三絃の箏は、約180センチ(六尺)。この十七絃は195センチ。ただ一般的な十七絃は、この上に箏と同じように糸をぐるぐるする部分があるので210センチ(七尺)くらいです。

横から見ると・・・(横から撮られると体の厚みが丸わかりなので、私は苦手です)
右の十三絃の箏は約5センチ。左の十七絃は約9センチ

そして絃の太さ。右が十三絃の箏、左が十七絃。

これだけ大きさも、厚みも、絃の太さもビッグなので、低い音が出るのです。
ちょっと専門的になりますが、それぞれの楽器の平均的な音高を五線譜で表すと以下のようになります。
赤い□の部分が同音です。十七絃の真ん中の音が十三絃の一番低い音になる感じです。なので十七絃はかなり低音まで音が出ることが分かりますね。

では、九兄弟からお別れのご挨拶です。
今後ともご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。


それでは皆さまご機嫌よう。

【追記】
箏柱は次の二種類の幅のものがあります。左側の方の愛称は富士柱(ふじじ)くん、または幅広(はばひろ)くん。こちらのほうが安定します。箏は木目がごつごつしている部分があったりして、右側の柱だとガタガタする時があるのです。そういう時は富士柱だと安心です。















2020年5月16日土曜日

【令和元年回顧録】国民文化祭「邦楽の祭典」

今は昔、「邦楽の祭典」といふ演奏会が開かれし頃の話なり。
と言ったって去年の話ですけどね。ただ、かなり規模の大きい演奏会で、少なからず私も力を尽くした演奏会であったのに、ついついブログで書いていなかったので、今更ながらご報告を・・・

ちなみに国民文化祭や邦楽の祭典の概要については↓に書いていたので、ご参考にお読みください。
国民文化祭、邦楽の祭典とは?

文化団体が主催する事業ということで、私が所属している新潟県邦楽連盟が企画・運営の中心的な役割を担うことになりました。そして私がこの祭典の事務局長を任されました。ということで、開催の2年くらい前から邦楽の祭典の基本構想(新潟大会のコンセプト)の立案、前年には新潟県や新潟市(行政)と開催規模や開催地の交渉や募集要項の作成、委嘱作品の依頼、新潟市実行委員会の立ち上げの総会↓
平成30(2018)年11月1日

そしてその年になってからは、県の広報番組に出演したり(実家の稽古場です)、

全国の出演団体との事務的なやり取り、演奏会を開催するにあたっての事務的なこと(音響や照明会社、会場打ち合わせ、印刷物の手配、タイムスケジュール作成)などなど怒涛のごとく時間が過ぎました。この演奏会が終わってずいぶん経つので、すっかり苦労を忘れていましたが、ストレスで寿命は縮まったことは確かだな(笑)

そんな荒波を乗り越えて当日。

令和元年10月20日。
午前11時に開演し、終演は午後6時。
会場は新潟県民会館大ホール。邦楽の演奏会としては珍しく(笑)、人が入りました。驚いたのは当日券が100枚も出たこと。約600人のお客様にご来場いただきました。

せっかくですから、出演団体を全てご紹介しましょう。

1.新潟市ジュニア邦楽合奏団(新潟県)
2.箏曲 正絃社(愛知県)
3.取手市文化連盟 水野箏曲会(茨城県)
4.一絃琴一遙会(香川県)
5.邦楽グループKAMO(広島県)
6.秋田県三曲連盟(秋田県)
7.岐阜県尺八こども教室(岐阜県三曲連合会)(岐阜県)
8.胡弓の会「しらべ」(東京都)
9.新潟県高等学校文化連盟日本音楽部門(新潟県)
10.鳥取邦楽会(鳥取県)
11.やまなし邦楽合奏団「響鳴」(山梨県)
12.NPO法人ドルチェ邦楽合奏団(千葉県)
13.箏道音楽院四国支部内田社中(徳島県)
14.新潟市琵琶楽協会(新潟県)
15.生田流正派絲音会(富山県)
16.山形県大正琴・文化箏愛好会(山形県)
17.新潟市三曲連盟(新潟県)
18.富山県邦楽協会(富山県)
19.愛媛琵琶会(愛媛県)
20.群馬三曲協会(群馬県)

21.新潟県邦楽連盟(新潟県)
※新潟県邦楽連盟は2曲演奏しています。

全22曲でした。
この中で、我々が全国の方向けに企画した曲を2つ。
まず一つは、新潟市ジュニア邦楽合奏団。小中高校生が団員の合奏団です。祭典のオープニングを飾っていただきました。

もう一つは、県内の高校の箏曲部の生徒が合同で演奏した「六段の調」。
全員が集まって練習する機会は前日のリハーサルだけなので、あらかじめ私の見本演奏を録音したCDを各学校にお送りして、それに合わせて練習してもらいました。
普段の部活では、ほとんどがいわゆる現代曲をやっている訳ですが、そういう高校生に、箏の基本、六段を弾いてもらう、というのがポイントでした!
前日のリハーサルでは、「え、実は何度か合奏練習したんじゃないの?」というくらいの仕上がり。若いというのは素晴らしい。「他の人と合わせよう」という意識が強いのと、そしてズレを修正する神経の反応が速いのだと思います。
この「みんなで合わせよう」という意識。これはとても大切で、合奏の基本の基でありながら、大人数で合奏する時は本当に大変なんです。


そして中で私が出演したのは3曲です。
演奏順にご紹介すると、まず今回の祭典のために、作曲家の小西奈雅子先生にお願いして作っていただいた、
「望郷」~會津八一の歌による~
新潟県邦楽連盟の中で演奏家として活動している会員を中心としたメンバーで演奏しました。パートは箏二部、三絃、十七絃、尺八で、會津八一の七つの和歌を歌詞にした組曲でした。


続いては、三ツ橋勾当作曲「松竹梅」です。これは新潟市三曲連盟として出演しました。
山田流が箏、生田流が低音の箏、生田流が三絃、そして琴古流と都山流の尺八による合奏です。約60名での合奏。流派が違うと曲のノリ(運び方)や拍数が微妙に違いますが、何回か合奏をしてなんとかまとまりました。この人数で特に古典曲をやる、というのはなかなか圧巻です。これができるというのが、今の新潟市三曲連盟の強みであり、目指す方向です。10年近く様々な曲の流派を超越した大合奏に取り組んでいます。

絶滅危惧種の山田流が真ん中に固まる、という珍しい光景です(笑)

 そして下手の袖からのアングル。なかなかいいですよね!

尺八も壮観です。

もう一つは、新潟県邦楽連盟として出演した野村正峰作曲「編曲長唄越後獅子」
県の連盟の演奏会は、他の地域もそうだと思いますが、各社中(団体)ごとの演奏を発表しますが、この邦楽の祭典を見据えて2年前から全体での合奏に取り組みました。これは連盟として初めての試みでしたが、会員の皆さんからはおおむね好評だったようです。
これは約80名。舞台めいっぱいでした。

第一箏のタテ(主奏者)の私と第二箏のタテの池田聡子先生がこの近さ。ほぼ箏同士がくっついています(笑)

全体を見てもこの通り。



この曲がトリで、めでたく終演しました。

私、演奏する場数はかなり積んでいますが、企画運営という点においては素人です。
こんな私を支えてくださった、新潟県邦楽連盟、新潟市三曲連盟の皆さん、この舞台の進行を見事にこなしてくださった楽器店さん(東京4軒、新潟2軒)、楽器店の補助として精力的に働いてくれた新潟大学の愛すべき学生たち、また、この祭典に係わってくださった全ての方々、そして、全国各地からご出演いただいた方に感謝申し上げます。

皆さんの力が結集して、大きなトラブルがなく全国規模のこの演奏会を終えることができました。

有難うございました!

そして、これをなぜ、演奏会が終わってすぐに書かなかったのか・・・
呆れるばかりです。。。

ま、それが私のいいところ(笑)
いや、反省します。

今年の国民文化祭は宮崎県ですが、宮崎の関係者の方々は落ち着かないでしょうね。開催できるのか、できないのか・・・お察しします。

それでは皆さまご機嫌よう。

2020年5月14日木曜日

やっと来た、けどもだよ・・・

昨日やっと家にも届きました。

◯◯ノマスク。
(そもそも「アベノマスク」という言葉が、アベノミクスと自ら命名した、効果があるのかないのか分からない経済対策を揶揄、嘲笑する言い方なのにマスコミなどが堂々とこの単語を使用するのはなかなか痛快である)

マスク不足が深刻化し始めたのが2月上旬。もはや3か月前。一度配り始めて、ストップして再度配布開始(改めての検品に8億かかったそうです)。

最近では薬局やホームセンター以外のいたる所で売っています。が、アホみたいに高く、どうも売れていないようです。これから大幅に値崩れして簡単に手に入るようになるでしょう。

「そういう中、に、おいて、ですね、いわば、いわばですよ、洗って繰り返し使用できるマスク、このマスク、を、ですね、しっかぃ(しっかり)と、スピード感をもって配布したのでごじゃいまして、これで国民も気が済むのであろう、と、思う訳でごじゃいます。」という天の声が聞こえてきそうです。

マスクとともに封入されている説明書きにはこう書いてあります。(  )内は私のつぶやきです。

「現下(いつ?)の情勢を踏まえ、新型コロナウィルスに関する緊急事態宣言が出されました(昨日やっと届きましたが、34県では今日解除されるんですけど・・・)。感染が拡大する可能性があることから(もうしましたけど・・・)、みなさまには、不要不急の外出を避けるようお願いします。」

〔中略〕

「この度、感染拡大防止を図るため(もう遅いのだ)、一住所あたり2枚の布マスクを配布いたします。十分な量でないことは承知しておりますが(思ってもないことをよくぬけぬけと・・・)、使い捨てではなく、洗剤を使って洗うことで、何度でも再利用可能ですので、ご活用ください。」

ですって。

ええ、確かに私は顔がでかいですけど。

この状態で息を吸うと、草むしりした後の手のにおいがします。ま、風薫る5月ですものね。粋なはからいですこと。


~~~意見には個人差があります~~~

それでは皆さまご機嫌よう。




2020年5月12日火曜日

上野の公園口が!!

ほぼ日課になっている朝のウォーキング。傾向として南の海方向に行くことが多いのですが、今日は気分を変えて上野へ。家から7キロ弱。広小路からそのまま山にあがろうかと思ったのですが、懐かしい公園口へ行ってみよう!

すると衝撃的な光景が・・・

大学に行くためにさんざん使っていた公園口がない・・・

そしてこの左側、感覚的には奥の方に見慣れぬ建物が。駐車場の入り口だったところの奥ですね。

なにごとですか、これは。
しかも前の道路は通り抜けできないようになっているではないですか。

学生の頃、公園口で何人かで集まって「学校までタクっちゃおう!」なんてことができなくなってる(笑)

新しい公園口、正確には「公園改札」という名前みたいですが、こんな感じでした。



ここから回れ右をすると、西洋美術館と文化会館の間の通りがズドーン!そして奥には動物園の入口という感じ。

入学したころは上野公園は西洋美術館を過ぎると薄暗く、ブルシートのお家がたくさんあり、じめーっとした所を歩いて学校へ行ったものですが、今は、下の写真の左にはスタバがあったり、右側にもカフェがあって、なんかおしゃれになっているし。
今はほとんど人がいませんが。

そしてこの改札の改築で、これからの藝大生は、さぞいい気分で通学するのでしょう。コロナが終息して通えるようになったら、ですけどね。

ここまで来たので上野東照宮にお参りして帰ってきました。


今日もすっかり初夏の東京です。


それでは皆さまご機嫌よう。