2017年11月12日日曜日

流祖 山田検校 没後200年記念 奉納演奏

山田流箏曲の流祖である山田検校は、宝暦7年に生まれて文化14年に亡くなりました。
って言ってもパッと分からないですが、西暦にすると、1757年に生まれて1817年に亡くなっています。

今年は2017年。

ということは・・・

今年は山田検校の生誕260年で、没後200年という記念の年!

山田検校が初めて作曲したと言われている曲が「江の島曲」ということで、江の島の奥津宮には銅像もあります。そんなことで、江の島には特別の思い入れがあります。

それが、色々なチャンスに恵まれて、流祖の銅像のある江の島で奉納演奏をすることができました。山田流箏曲人として大変感慨深く、得難い経験となりました。

演奏したメンバーは、演奏のベストパートナーである樋口千清代さんと、琴古流の吉田長生さん。吉田さんはここが地元なので、今回の話を進めてくれました。

奉納演奏をしたのは10月12日、この日は夏かと思うくらいの暑い日でした。
辺津宮の社殿のまえにはこのような看板が。

この中で演奏したのですが、演奏の前には「報告祭」が執り行われました。気が引き締まります。


15分ほどの報告祭が終わり、演奏となりましたが、事前の告知や観光客の方など約70名の方がともに参加しました。

まずは尺八独奏。曲は、吉田さんの曽祖父である吉田晴風作曲の「祈り」

そして、山田検校の作品を3曲。
まず私が、山田流独自の組歌としては唯一の「初音曲(はつねのきょく)」を。

そして樋口さんが「布袋(ほてい)}を三絃の独奏で。

そして、「江の島曲(えのしまのきょく)」

「江の島曲」の歌詞です。
〔前弾〕
春過ぎて 今ぞ初めの夏衣 軽(かろ)き袂が浦風に 長戸(しなど)の追風(おいて)そよそよと 福寿円満限りなき 誓いの海のそれならで 干潟(ひかた)となればいと易く 歩みを運ぶ江の島の 絵にも及ばぬ眺めかな 
水は山の影を含み 山は水の心に任す 神仙の岩屋 名に聞えたる蓬莱洞 峙(そばだ)つ岩根峨々(がが)として 随縁真如の波の声 心も澄める折からに 海人の子供のうち群れて 磯馴(そな)れ小唄も貝づくし
〔合の手〕
君が姿を見染めて染めて 引く袖貝(そでがい)を振り払う 恋は鮑の片思い 徒(あだ)し徒波(あだなみ)桜貝 梅の花貝その身は酢(す)いな 粋な酢貝(すがい)は男の心 こちは姫貝一筋な 女心(おうなごころ)はそうじゃないわいな〔合〕いつか逢瀬(おうせ)の床伏(とこぶ)しに 逢(お)うて離れぬ蛤の その月日貝(つきひがい)馬刀貝(まてがい)と 言うを頼みの妹背貝(いもせがい) 唄う一節恋の海。
かの深沢の悪龍(あくりょう)も 妙(たえ)なる天女の神徳(しんとく)に たちまち一念発起して 永(なが)く誓いを龍(たつ)の口 昔の跡をぞとどめける 幾千代(いくちよ)も 尽きせじ尽きじこの島の 磯(いそ)山松(やままつ)を吹く風 〔合〕岩根に寄する波までも さながら夏風楽(かふうらく) 青海波(せいがいは)を奏すなり。
〔楽〕
道理(ことわり)なれや名にし負(お)う 妙音菩薩(みょうおんぼさつ)の調べの糸 永く伝えて富貴自在(ふきじざい) 寿命長久(じゅみょうちょうきゅう)繁栄(はんえい)を 守らせ給う御神の 広き恵ぞ有難き 広き恵みぞ有難き

演奏後に記念撮影。
江島神社の相原圀彦宮司さまと。


前列の右側に座っていらっしゃる5名の方々は、今回の奉納演奏に際してご尽力いただいた皆さまです。ちなみに、右から三番目の男性の方は、江の島の参道にある女夫(めおと)饅頭の老舗「紀の国屋本店」のご主人。江の島振興連絡協議会の会長さんです。
お店ではこのような感じで笑顔の素敵な方です。江の島に行った時にはぜひお立ち寄りください!出来立てのお饅頭がいただけます。夏は一口アイス最中も絶品!

東京新聞の記者さんもいらっしゃていて、記事にしてくださいました。
記事はこちらです。


記念撮影の後は、後先になりましたが、山田検校にご報告を。江の島を登ります。
後ろ姿は珍しいショットですので載せましょう。
決して新郎の両親ではありませんので(笑)

登ったり下ったり。そして暑い。左の店に入ってビールを飲みたかったです・・・

はい、到着。

これが山田検校の銅像です。

この山田検校、大変な美声だったようです。また、当時江戸を中心に数千人の門下生がいたということです。山田流が再び大流行するように頑張らねば。

地元のJCOMのインタビューを受けたり。

最後に、今回のメンバーのショットを2枚。


美男美女で演奏に伺います。ご用命お待ちしております(笑)










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