2019年3月21日木曜日

名人といわれる人の達する境地


今日は春分の日。お彼岸の中日です。お墓参りに行った方、これから行く方もいらっしゃると思います。

そもそも彼岸って?なんで墓参り?

ちょっと気になって調べてみました。

ごくごく簡単に説明すると、彼岸とはあの世のことだそうです。それに対して、煩悩と苦しみのこの世は此岸(しがん)というそうです。春分の日、秋分の日は昼と夜の長さが同じです。ということは、太陽は真東から登り、真西に沈むわけです。
仏教では、極楽浄土ははるか西にあるとされています。なので、真西に太陽が沈む春分と秋分の日は、この世とあの世が最短距離で結ばれる日という事になるわけです。つまり、仏様と最短距離で結ばれる日、故人との思いが通じやすい日、ひいては自分も極楽浄土へ行けるということで、お墓参りに行くそうです。

ま、私はおはぎ(春はぼた餅)が食べたいです。あとで買いにいきます。
いやいや、これにもちゃんと理由が。
日本には古くから邪気を払う食べ物への信仰があり、あずきの赤色には災難から身を守る厄除けの効果があると考えられていたようです。
そう、私も邪気をはらうために食べるのです。決して食い意地ではありません。

そういうことにします。



さて、そんなお彼岸の中日の午前中、テレビ東京で十代目柳家小三治の番組をやっていました。その中でこんな話がありました。

昭和の名人と言われた柳家小さんは、当時二ツ目の23歳であった弟子の小三治にこう言ったそうです。

「お前の話は面白くねぇな」

客に人気もあり実力もあった小三治は金縛りにあったような気持ちだったそうです。

29歳で17人抜き(異例のことらしい)で真打となったのですが、なぜ面白くないのか、という答えが見つからなかったといいます。そして40代になり噺家として評価をされても、小さんの言葉にもがき苦しんだそうです。


そんな時、オートバイに出合いのめり込んだのでした。噺家仲間で「転倒蟲(てんとうむし)」というグループを作り、毎年一か月かけて北海道をまわり、落語会を開きました。落語に馴染みのない北海道での高座が小三治を進化させ、そして、答えがみつかったようです。

小三治は言います。


これは極意中の極意。例えば親父と子どもの話。子供のセリフになると子供らしい(高くかわいらしい声で)「おとっつぁん」とかっていう、親父になると急に(低くドスのきいた声で)「何がだよう」とかっていう、それは噺家じゃねえと。つまり、その人物になりきってやればいい、なりきるってことは声を変えるってことじゃなくて、心がそうなれば。全部おとっつぁんのような声でもいいんですよ。どういう表現をするかじゃなくて、どういう心で、その人の心を伝える。それが噺家なんだってのが分かってきたのが、40過ぎて50くらいですかね。だんだんわかってきたのは。

声色を変えても、客はその変化に笑っただけ。その人物になりきれば、同じ声でも風景が見えてくる。だからこそ話が面白くなる。という境地に至り、小さんに言われた言葉の答えが見つかったそうだ。



実はこれと同じことを私も言われたことがあります。私を山田流箏曲へのめり込ませた師匠、室岡松孝師に。すでに亡くなっていらっしゃいますが、地位や名声や芸界内での政治には全く興味がない先生でした。しかし、山田流のみならず生田流、そして尺八の演奏家もその教えを乞いに通うほどの先生でした。まさに芸にのみ生きた人。私は十代から二十代にかけてこの先生稽古をしていただきました。

「熊野(ゆや)」という曲をお稽古していただいた時のことです。
季節はちょうど今頃。桜のさかりの季節のお話です。
熊野には関東に住む母がいます。年老いて病におかされ、今にも旅立たんとしている母です。熊野は一刻も早く母のもとへ行きたい、という気持ちがあります。まずそういう背景があります。

平宗盛はそれを知ってか知らずか、寵愛していた熊野を伴って清水寺にお花見に行きます。宗盛に所望され熊野は舞いを舞っていると、にわか雨がふり桜の花がさっと散ります。その花を見て熊野はいてもたってもいられず、「いかにせん 都の春もおしけれど なれし東(あずま)の花や散るらん」という歌を宗盛に差し出し、それに心動かされた宗盛は熊野に暇をとらせ、熊野は東に下る。というものです。

後半、曲の最もヤマで、熊野と宗盛の問答があります。

宗盛「はやはや暇取らするぞ、東に下り候へ」
熊野「なにお暇と候うや」
宗盛「なかなかのこと、疾くとく下り給うべし」

この部分のお稽古をしている時のことです。

熊野は曲の中では主役であるのだから、また、もとは謡曲なのだから立派に語らなければいけない。女性だからと言って柔らかくとか、高く語るのは間違い。また、宗盛は曲の中では脇役であっても、殿様なのだから、これも立派に語らなければならない。あなたはまだ若いから無理だけれども、そういう心のありかた、心持ちが大切なのだ。という内容のお話をされました。

当時は、とにかく先生の真似をする。とにかく先生と同じ節で唄って語る、ということに必死でした。「ほうほう、なるほどね。」と、その当時は分かったつもりでやっていましたが、今になって思えば、その中の心になんて達していなかったと思います。今も分かっているのかどうか、自分でも分かりません。

ただ、今日このテレビを見て何か腑に落ちました。

これもお彼岸の中日だからでしょう。やはり極楽浄土と最短距離で結ばれている日なのだと実感する武藤です。



それでは皆さまご機嫌よう。


~~追記~~

おはぎ買ってきました!

厄除け祈願(;^ω^)



では改めて、


それでは皆さまご機嫌よう。









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