2021年1月21日木曜日

妄想がとまらない

 今日はちょっとマニアックです。


YouTubeを開いたら表示された動画の1つに

「【大都市にいこう】日本海側の『覇者』新潟が想像の8倍都会だった件~新潟編・前編~」

というものがあり、しかも一週間前にアップされたものにも関わらず9.4万回も再生されているではないですか!早速観ました。大都市、日本海側、覇者、都会。このワードに新潟人は飛びつきます(笑)。そして8倍というのは新潟市の8区(中央・西・東・北・南・江南・秋葉・西蒲)の意味か?

私のように新潟市出身で頻繁に行き来をして(または住んで)いると、年をおうごとに衰退の一途をたどり活気をなくしているのではないか?と思ってしまい、さらにそう思い込んでいる新潟。

しかし、県外の人、特に、このように色々な都市を紹介しているYouTuberが新潟に来て、こんな風に新潟を感じてくれるんだ!と明るい気分になれました。ちょっとでも興味が湧いたらご覧ください。

動画を観ていて、「そこは角田山だけじゃなくて弥彦山も紹介してー!」「そこはまず第四銀行の歴史に言及してー!」などと思いました。そしてこの動画を観た新潟人も同じことを感じるでしょう。また、後半がまだアップされていないので何とも言えませんが、「え、あそこは?」「ここがないじゃないか!」とか、「それを言えないようではダメだ、こいつ。」と思った新潟人がいるでしょ?(新潟人をディスりすぎか?)

しかしですよ、ちょっと考えてごらんなさい。それはね、きっと新潟(県も市も人も)がそこのアピールを怠っているという証拠だと思いますのですよ、私は。その他にはそこまでの交通手段が整備されていない、とか、案内板の整備不足とか。

勉強になるじゃないですか。

新潟人よ、頑張るのじゃ!


「新潟はないもないから・・・」という言葉をよく聞きます。確かにここ数年でも日本海タワーがなくなり、大和がなくなり、レインボータワーがなくなり、新潟ALTAもなくなり、FM PORTは閉局し、三越は閉店し、西堀ローサはスカスカ・・・

でもね、そういう状況だからこそ、仮にも謙遜して「新潟はなにもないから・・・」なんて言っていると、本当にそういう所だと思われます。謙遜も時には大切だし、日本人の美徳dえあることは間違いないです。そうかもしれませんが、今の時代、謙遜よりもアピールしなきゃね。なくなったものは仕方ない。もう戻ってはこないのです。まさに、藝大時代に三絃(三味線)のレッスンをしていただいた山勢松韻先生(当時は司都子先生)がおっしゃった「欠けた撥は青春と同じで戻ってこないのよ。」(弾いていて欠けてしまった高価な象牙撥は、いくら弾き方が悪かったのかしら・・・とか、あんなに力んで弾かなければ・・・などと後悔しても元の形には戻らないのだから仕方ない、という意味。江戸っ子の司都子先生らしい潔いお言葉です。)という一言が思い起こされます。これはことあるごとに思い出します。業界人としては、これほど世の無常を言い当てた言葉はないと思っています。

ちょっと話がそれましたが。そして、もう一つ。

金沢に負けるな!

とも常々思っていますが、これも「金沢にはすでに負けている」と多くの県民が思っていることでしょう。

財政に余裕があって、私が新潟市長になったら(決して立候補宣言ではないです。あ、支援者が多ければ立ちますが(笑))、いや市長にならずとも市長の文化的施策のブレーンとして意見できるような立場になれれば、本来の新潟である「港町」「商業都市」としての再開発をしますね。港の観光化、堀の復活、古町芸妓の拠点となる三業会館(浅草見番的な所)を改築し、NGT48のように定期的な公演をできるようにし、古町界隈の賑わいを醸成する。


結局は温故知新なんですよ。都市も文化も。故きを温ねて新しきを知る。ってことはですよ、新しきを知るには故きを温ねないといけないんです。その事の歴史を知らずしてそれを語ることなかれ。


そこをね、政(まつりごと)を司るお偉い方々には肝に銘じて欲しいわけです。

耳触りのいい事は一過性です。残りません。

ということです。


なんか自分でも何を言ってるかわからなくなってきたので、今日はここまで。

最後に一言、この動画をアップしてくれたぽりたんチャンネルさん、有難う!これが言いたかったのです。


それでは皆さまご機嫌よう。


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