2011年12月14日水曜日

【日常】 頃は元禄十五年・・・

今日は、赤穂四十七士が吉良上野介邸へ討ち入って、主君浅野内匠頭の仇討ちをした日です。元禄15年は西暦1702年ですから、今から309年前の出来事。

吉良邸の跡というのが、実は家のとても近所で両国駅からすぐの所です。当時は“本所松坂町”と言われていました。今の両国二丁目三丁目近辺です。
今でも京葉道路沿いに本所松坂町跡の石碑があります。

で、路地を入ると吉良邸跡があります。本所松坂町公園となっているんですね。

江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁(なまこかべ)長屋門を模した造りです。



公園内には、松坂稲荷大明神。

吉良家家臣二十士の碑。

吉良上野介像。去年までは屋根がなかったのですが、新築されました!

討ち取った上野介の首を洗ったといわれる“みしるし洗いの井戸”

そのほか、内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されています。

ここでも今日は義士祭があったのですが、10日11日には「元禄市」「吉良祭」が行われました。当然行ってきましたよ。

たくさんの露天が出て賑わいます。

食べたもの。その1 赤穂汁

その2 ふかし芋。とても立派なサツマイモ。1個50円。ほくほくしていて、栗のような味のする美味しいお芋でした。

地元の青年会の人が吉良上野介と大石内蔵助に扮していて、記念撮影に応じていました。吉良さんは炭小屋で見つかった時の格好ですかね。
ここではとても仲がよさそうです(笑)

少し裏へまわると・・・


昔はここが正門だったんですね。本所松坂町公園は吉良邸のごく一部なのです。


さて、ここでまた今日の出来事に戻ります。忠臣蔵好きとしては、やっぱり泉岳寺へ行かなくては!
ってことで行ってきました。初の泉岳寺です。
都営浅草線の泉岳寺駅下車。

地上へ出て右へ少し行くと、泉岳寺の入口があります。これは中門です。
http://www.sengakuji.or.jp/

露天がたくさん出ている参道を行くと、山門。

そして、さらに行くと本堂があり、お参りを。

浅野内匠頭・遥泉院(内匠頭の奥さん)・四十七士のお墓は、この本堂の左側にあります。
墓所へ続く参道。
墓所の門。

ここを入ると、線香が売られていたので買いました。
すごい行列ともくもくと立ち上る線香の煙。

浅野内匠頭のお墓。

大石内蔵助のお墓。

内蔵助の息子主税のお墓。

そして、新潟(新発田)の英雄 堀部安兵衛のお墓。菊水が供えられてました。さすが!

亡き主君の仇討ちをして、一躍ヒーローとなりながらも、結局は切腹して果てた浪士たち。お墓には享年が書かれていますが、20代30代の多いこと。彼らの胸の内を思うと、こちらの胸もつまります。そして、すさまじい量の線香の煙も目にしみました。

分かりやすいサイトを見つけました。「忠臣蔵」をご存知の方も、ご存知ない方もどうぞ。
http://www.sumida-gg.or.jp/arekore/SUMIDA001/S001-1.html

そして忠臣蔵といえば、この音楽でしょう。昭和39年放送のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲。芥川也寸志の作曲。名曲です。



武藤松圃HP
http://www.symphonic-net.com/mutoshowho/

2 件のコメント:

  1. 歴史の知識は皆無ですので「ほぉ~う、ほぉ~う」と
    うなりながら読んでました。

    一方ワタクシ、神社、寺院、お墓(?)関係は大好きですので、
    そこからなら歴史も入りやすいかなと。

    しかしながら両方がリンクして初めて意味のあるものですから、
    こういった機会に少しずつお勉強していきますわぁ。

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  2. >atukolonさん
    その神社仏閣の由来や歴史を勉強すると、そこからいろいろ広がっていくと思います。
    この忠臣蔵、嫌いな人はいないんじゃないかな。

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