2020年5月28日木曜日

【ちょっとお聴きよ山田流】第三回 初夏の風に誘われて江の島へ!

いやいや、実際に江の島へ行く訳ではないですよ。もちろん。

今日の「ちょっとお聴きよ山田流」は山田検校作曲『江の島曲(えのしまのきょく)』です。

ちなみにこれは江島神社の奥津宮にある山田検校の銅像です。

山田検校(1757-1817)が21歳の時に初めて作ったと言われています。ということは、1778年ってことか。1778年にどのような事があったか、ちょっと調べてみました。
安永7年、天皇は後桃園天皇、将軍は十代家治。
三代目の中村歌右衛門や六代目の市川團十郎が誕生。
四代目市川團十郎、ジャン・ジャック・ルソーが死去。

ま、そんな年に作曲された「江の島曲」。

江島神社の縁起が語られる曲です。
ごく簡単に言うと、「悪行を重ねていた龍が、天女に恋をし、改心していい龍になった」という感じ。詳しくはこちらをご覧ください。

なぜ第三回にこの曲を選んだか?というと、この曲の季節がちょうど今頃なのです。
冒頭は、江戸時代も絶好の観光地であった江の島。その江の島に初夏の清々しい海風を感じながらてワクワクしながら歩いていく。潮が引くと地続きになって江の島に渡れたようです。そんな「絵~にも描っけない美しさ~」(竜宮城の景色 by 浦島太郎)の江の島の景色を唄います。

今回はこの冒頭の部分を唄付きでお聴きください。

歌詞です。
「春過ぎて、今ぞはじめの夏衣、軽き袂が浦風に、科戸(しなど)の追風(おいて)そよそよと、福寿円満限りなき、誓いの海のそれならで、干潟となればいと易く、歩みを運ぶ江の島の、絵にも及ばぬ眺めかな。」

ん~、見事に七五調。

袂にそよそよと吹く風を表現するため(笑)、浴衣を着てみました。スマホで撮っているので、音質や画質はイマイチです・・・そして箏のみです。

曲はこの後、もう少し江の島の景色を唄います。

「水は山の影を含み、山は水の心に任す。
神仙の岩屋、名に聞こえたる蓬莱洞。そばたつ岩根峨々として、隨縁真如の波の声、心も澄める折からに、海人の子供のうち連れて、磯馴(そな)れ小唄も貝尽くし。」

ここでちょっと雰囲気がくだけて、男女の仲を様々な貝の名前に例えて、掛詞なんかも使ってサラッと唄います。なかなか色っぽいので、明治になった頃に、品のいい歌詞への改作が行われましたが、今はほとんどおこなわれていません。私も楽譜を見ないと分かりません。

↓は元の歌詞です。

「君が姿を見染めて染めて、引く袖貝を振り払う、恋は鮑(あわび)の片思い、徒(あだ)し徒波(あだなみ)桜貝、梅の花貝、その身は酸(す)いな、粋(すい)な酢貝は男の心、こちは姫貝一筋な、女心(おうなごころ)はそうじゃないわいな。いつか逢瀬の床臥(とこぶし)に、逢うて離れぬ蛤(はまぐり)の、その月日貝、馬刀貝(まてがい)
と、言うを頼みの妹背貝(おもせがい)、唄う一節恋の海。」

ここで荘厳な雰囲気に戻って
「かの深沢の悪龍も、妙(たえ)なる天女の神徳に、たちまち一念発起して、永く誓いを龍の口、昔の跡をぞとどめける、幾千代も、尽きせじ尽きじこの島の、磯山松を吹く風」

ここで冒頭の前奏が再び出て来ます。途中でガラっと雰囲気が変わり・・・

「岩根に寄する波までも、さながら夏風楽(かふうらく)、青海波を奏すなり。」

雅楽の曲名が出てきたところで、山田流特有の「楽(がく)」があり、その後・・・

「道理(ことわり)なれや名にし負う、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)の調の糸、永く伝えて、富貴自在、寿命長久繁栄を、守らせ給う御神の、広き恵みぞありがたき、広き恵ぞありがたき。」



おしまいおしまい。

となります。

全曲聴きたくなりました?

ではこちらをどうぞ。

これは平成25年に尼崎市で演奏したものです。
「こりおりの会」という、琴古流尺八の吉村蒿盟師、山田流箏曲の佐野満穂師らで作られている、山田流の演奏団体(関西では唯一といってもいいかもしれない)に招かれた時のものです。この江の島で箏の二番目の方が、当時私の所にお稽古に見えていた縁で伺いました。もう7年も前かぁ。
吉村先生が最近YouTubeにアップされたので、こちらに転載します。


第四回は何にしようかな。


それでは皆さまご機嫌よう。





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