2020年4月7日火曜日

【ちょっとお聴きよ山田流】第一回「桜狩」

皆さまこんにちは。今日から始まります「ちょっとお聴きよ山田流」。本日は記念すべき第一回目でございまして、山田流の流祖である山田検校が作曲した「桜狩(さくらがり)」をちょっとだけ聴いていただきます。

が、その前に少々講釈を。

山田流は名前の通り山田検校(1757-1817)が創始した箏曲の流派です。お父さんは三田了任という宝生流の能楽師、お母さんは山田さん(←雑ですみません)。小さい時に失明したそうです。15歳で山田松黒というお医者さんに入門して箏曲を学び、17歳の時には、なんと箏曲の改新を思い立ったそうです。21歳で「江の島曲(えのしまのきょく)」を作ったと言われています。

1800年頃には円熟の域に達していたということは、43歳頃という事でございまして、わたくしは46ですので、のんびりしていられぬと思う訳でございます。

江戸で一世を風靡していて、美声ということもありファンも多かったようです。
そしてどんなお顔をしていたかというと・・・
こちら!

とある日の山田検校像を私の後姿です。場所は江の島。

もっち近くで見たいですって?どうぞご覧ください。

ここから200年以上、山田流箏曲は受け継がれてきたわけです。
しかし今、この音楽は存続の危機でありますのです。なので、ここにこうやって皆さんにちょこっとでも知っていただいて、洗脳しよ、あ、いや、好きになっていただこう、という趣向です。

では早速「桜狩」

山田検校の作品のうち、最も重んじられている「奥四つ物」(※後日解説します)、そしてその次に重んじられている「中七曲」(※これも後日解説します)がありますが、この「中七曲」の中の一曲です。

越前家の姫君の歌詞に、松平定信の勧めで作曲したようです。松平定信が山田検校にちょっといじわるをしようとして、この難解な歌詞を選んだというような話もありますが、真偽のほどはわかりません。

え、歌詞?

そうですよ、箏曲はもともと弾き歌いの音楽で、山田流は特に唄を重視しているんです。平家物語や源氏物語、季節の風情といったものが歌詞になっています。簡単に言うと、唄で物語を聴かせる箏曲です。

しかし、今日はとりあえず「桜狩」の中の合の手(器楽部分)です。
山田検校の作品の中で一番長い合の手です。かなり技巧に富んでいます。
その合の手の一部です。

ちなみに山田流は、箏2~3名、三絃1名というのが正式なスタイルなので、一人ではどうにもならないのですが、まず箏のタテ(テンポを作ったり装飾的な旋律を弾く人)部分を録音し、そこに三絃を重ねて録音し、それを流しながら本手(主旋律)を弾きスマホで動画を撮る、という方法での撮影です。

一人三役の「桜狩」です。満開の桜、そして滝を水が流れ落ちている様子を想像してください。



うーーん、素晴らしい!(←自画自賛大好きです)

憂鬱な気分を少しでも晴らすことができたらうれしいです。


それでは皆さまご機嫌よう。

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