2020年4月9日木曜日

開けてしまったパンドラの箱

する事がないと(って、練習しろよって)、何をするかというと・・・

普段ならしないような時間のかかる料理とか、毎日ブログを書くとか(笑)、部屋の掃除を念入りにするとか、等々。

その流れで、本日パンドラの箱を開けてしまったのであります。

東京に来てから22年、何回かの引っ越しの度に、どうにも分類できない、いらないのだけれども捨てられない物たちを入れてきたアルミの箱。数年ぶりに開けてみました。

懐かしいものがたくさん出て来ました。ガラクタと共に。

年数が経つと、人間の価値観は変わります。あの時は捨てられなかった物でも、今の自分からすると全くその価値がないものが多いです。でも、やっぱりどうにも分類できず捨てられないものがありました。

その中で衝撃的なものが。


過去の自分。


一番古いものから。

平成12年に更新した免許証。平成12年、20年前。藝大3年生の時、私が27歳になろうかとしている頃です。今大学で教えている学生が生まれた頃かぁ、と思うと随分前なのですが、感覚としては「そこそこ最近」な感じです。しかし20年前かぁ。今お付き合いのある多くの音楽仲間とまだ知り合ってもいない頃です。そうかと思えば、このころから変わらずお付き合いをしている音楽仲間もいたりして、思い返すとなかなか感慨深い。

この頃からゴールドだったのね、私(笑)

続きましては・・・

14年前ものも。藝大の助手時代の身分証明書。前髪を上にあげるようになっています。

そして13年前。

やつれていますが、決して仕事に行き詰っていた訳ではありません。今考えると猛烈なストレスの中にあった訳ですが、それはさておき、この写真はその年の入学式の日にを撮ったのですが、前日からノロウイルス的な症状で猛烈に体調が悪く、2日で数キロも体重が減った時だったのです。顔色が悪いし、目は引っ込んでるし。

さて、平成18年と平成19年の身分証明書で違いがあります。まずサイドの色が違いますね。なんで違うかというと、「上記の者は」以降の文章でお分かりのように、平成18年までは助手は「非常勤講師(助手)」という肩書だったのですが、平成19年からは「教育研究助手」という名前になり、藝大の職員になったのです。給料の計算方法が変わりました。金額はさほど変わらなかったのかな。多少減りましたが(笑)



その他は、どこにいっちゃったのかなぁと思っていたMD(死語か?)なんかもありましたが、すでに処分したコートやジャケットのスペアボタンとか、ポイントカードとか微妙な長さの鉛筆とか、謎の石とか(笑)

今となっては本当にいらない。でもその時点では捨てられなかったんでしょう。よく「1年使わないものは必要のないもの」と言いますが、本当にそうですね。ほとんどとお別れしました。

ただ、最近CMそしている着物買取の「5年着てなかったらもう着ないってぇ」というセリフには毎回違和感を覚えます。着物は5年着なくたって、着るときはきます、というか、着物は財産ですから。

そんなこんなで、つつがなく無職生活を送っています。


それでは皆さまご機嫌よう。


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